メディアプロデューサー渡邊満子さんとフラワーアーティストの竹田浩子さん、そして弊社代表の近衞忠大は、それぞれ旧知の仲でありながら、今回初めて一緒に仕事をすることに。プロジェクト終了の機会に、改めて3人集まり、仕事やバックグラウンド、日本の文化について語らいました。
タワーギャラリーの展覧会を通じて
近衞:タワーギャラリーの展覧会「東京タワーがみつめた60年~皇族方をお迎えして~」が3月13日で無事終了しました。私は、総合監修の渡邊さんからお誘い頂き、空間デザインと一部キュレーションをお手伝いして、竹田さんも、渡邊さんからお声がけ頂いて会場入口を飾るフラワータワーを制作されたわけですが、旧知の仲である私たちが一緒に仕事をしたのは、意外にも初めてですね!渡邊さんには本当に感謝しています。
タワーギャラリー入口にて、竹田さんのフラワータワーを囲む3人
ファミリアに協力頂き、当時浩宮様がお持ちだったものと同型のバスケットを展示
竹田:本当にありがとうございます。 渡邊:私の夢が実現しました(笑)。
仕事を通じて感じる日本人の課題
近衞:ところで、3人ともクリエイティブな仕事に関わっていると思いますが、私は日本で仕事していると、クリエイティブに対するリスペクトが少ないと感じることがよくあります。世界が日本のクリエイティビティーに注目しているのに、なぜか日本人はクリエイティブを軽んじている。特に、デザインの重要性を認識してない人がすごく多い。渡邊さんはこの点どのようにお考えですか? 渡邊:日本的な反応なのでしょうね。コンクリ-トにはお金を出すけど、人のアイデアにはお金が出せない国なんです。そこが一番の問題。
竹田浩子(たけだひろこ):株式会社アッシュテ代表取締役。学習院大学卒業後、オランダ在学中ヨーロッパのフラワーアレンジメントに魅せられ、本格的に学ぶ。海外での生活や、幼少期より美しいデザインに触れることで独自のセンスが構築され、ダイナミックかつシンプルに洗練されたフラワーアレンジメントに評価がある。MIKIMOTO · UYEDA jeweller · Dior · Louis Vuitton · VALENTINO · cartier · Audi 等、数々の世界的ハイエンドブランドのパーティーやイベント、ホテル、店舗装花などを中心にウエデイング、雑誌の撮影など幅広く活躍中。父親が元皇族の竹田恆正。母方の祖父は東武鉄道社長で根津美術館創設者の根津嘉一郎。近衞忠大とは、親戚で元同級生。
竹田:私のお花の場合はデザインとは少し異なるので、近衞さんと同じ状況ではないけれど、ただ、ヨーロッパから帰国して、家にお花を飾らない日本人が多いことにびっくりしました。家に人を呼ぶ日本人が少ないようで、そうなると家の中もなんとなく片付けない、そして家にお花は必要がない、という悲しい連鎖がある気がします。本来美意識の高いはずの日本人には、一輪でも良いのでお花を飾る空間を作って、お花のある生活をして欲しいと思うのです。 渡邊:人を呼ぶことで綺麗になるのにね。 竹田:そうです!人を呼ぶのは何も豪邸である必要はありません。室内を綺麗にして居心地の良い空間を作れば、気に入ったデザインの椅子を置こうとか、ここにお花を飾ろうとか、考えられるようになると思うのです。 渡邊:それは、戦後大量消費が良いという風潮で、家がモノで溢れちゃったから。その感覚が今でも消えてなくて、家にスペ-スがないのよ。 近衞:さらに時代を遡ると、明治になって急に西洋文化が入ってきたことも原因だと思います。西洋建築が普及した一方で、床の間は減り伝統的な日本の工芸も衰退しました。それなのに、西洋の空間をデザインするアイデアまでは輸入できなかったのです。例えばフランスの古い家だと、おじいちゃんおばあちゃんが使っていた家具がそのまま置いてあって、百年以上も昔から同じように本が積み上がっている。ずうっと同じレイアウトで使ってきたフォーマットがある。もともと日本の家にも美しい様式美があったはずなのですが。
バックグラウンドについて
近衞:ところで、他にも3人の共通点として、バックグラウンドと仕事の関係があるかと思います。私は面倒だからこれまでバックグラウンドと本業は切り離して考えていましたが、年齢と共にそうも言っていられなくなってきました。
渡邊:言ってられないわね(苦笑)。でも、それは世のためなので、我慢というか、乗り越えた方が楽よ。 近衞:頑張ります。ただ、クリエイティブといっても私は基本的に現場や裏方で働いて来ましたから、仕事とバックグラウンドは全く関係ないという認識でした。たまに役に立つのは、イベントに超VIPがいらした際に、「おひとりで寂しそうにしていらっしゃるから、お前お相手してこい」と言われる時くらいで(笑)。 竹田:私も、プロフィールにバックグランドを載せて欲しいと言われます。若い頃は自意識過剰だったのだと思いますが、そこに抵抗を感じていました。学習院大学卒業、とまでは載せましたが、家系については最近まで載せませんでした。 近衞:そのバックグラウンドで仕事してる、と見られるのは嫌だよね。 竹田:そうなの。家がそうだからでしょ、コネでしょ、と言われちゃう。 渡邊:でも、しょうがないわよ、そんなの(笑)。 竹田:そうなんです。だから、だんだんもう図太くなってきて、この歳になったら「まいっか!本当のことだし。別にウソを書いてるわけじゃないから」と思って。それがプラスになれば良い。最近は「いいですよ、載せても」と言ってます。 近衞:渡邊さんはいかがですか?
渡邊満子(わたなべみつこ):メディアプロデューサー、慶応義塾大学仏文科卒業後、日本テレビ入社。「キユーピー3分クッキング」のディレクター、プロデューサーを20年あまり担当。「バチカン システィーナ礼拝堂修復プロジェクト」「ルーヴル美術館 モナリザSP」「天皇皇后両陛下ご成婚50年」など数多くの特別番組をプロデュース。2009年に日本テレビを退社しフリーとなる。2010~2012年にホテルオークラ“名家の逸品展”をプロデュース。国際バレエアソシエーション代表理事/日中映画祭実行委員会副理事長/日本舞台振興会(NBS)評議員。著書に「上皇后陛下美智子さま 心のかけ橋」(文藝春秋)や「祖父 大平正芳」(中央公論新社)など。父親は運輸大臣を務めた森田一、母方の祖父は内閣総理大臣を務めた大平正芳。
渡邊:私はもともと大平の名前じゃないけれど、それでも森田だから。早く結婚して名前が変わると良いなと思って、すぐに変えたの。で、新しいキャラを作り出した。そうしたら解放されたわ(笑)。 近衞:意識していたんですね。 渡邊:バックグラウンドが面倒な時もあるのよ。でも、先に言っちゃったほうが、物事が進むこともある。うちは政治家だから、時に悪口を言われる対象なわけです。で、人に悪口を言わせてから実は……だとお互い気まずいから、早めに言ってあげないと。 近衞:確かに(笑)。私の場合、母は元皇族ですが、父は武家の細川家に生まれて、会社勤めを始めてから近衞家を継いで、母と結婚しました。会社ではいわゆる転勤族です。ですので、私は何か具体的な家業を受け継いだわけではありませんが、先祖が文化的パトロンだったり、色々と文化に関わっていたので、本当はそっち側もしないといけないなとは、常々感じています。
近衞忠大(このえ ただひろ):株式会社curioswitch代表取締役クリエイティブ・ディレクター、武蔵野美術大学卒業後、テレビ局やプロダクションにて、番組やインターネット動画、ファッションブランドの大型イベントなど、幅広い制作現場を経験。「文化とクリエイティブで世界の橋渡しとなる」ことを志して起業したcurioswitchでは、豊富な海外経験と語学力を背景に、外資系企業の日本マーケティングや、日系企業の海外向けブランディングなど、国際的なプロジェクトに数多く関わる。宮内庁式部職、 陽明文庫評議員、十四世六平太記念財団理事長、東京都江戸東京きらりプロジェクト選考委員、三重県志摩市食の創生会議委員等を兼務。父親は日本赤十字社社長・国際赤十字赤新月社連盟会長を務めた近衞忠煇、母方の祖父は三笠宮崇仁親王。
渡邊:パトロン系にいなきゃいけないと? 近衞:近衞家の先祖である藤原道長のようなことはできませんが、日本の伝統文化が持っている有形無形の魅力を、自分の本業であるブランディングやデザインを通じて国内外に発信するよう心がけています。伝統文化の方々は、ブランディングやデザインの概念をお持ちでない場合が多いので、結びつけること自体も簡単ではないのですが、バックグラウンドのおかげで、話を聞いて貰って、お互いを理解するのがスムーズなように感じます。その点では、先人達にとても感謝してます(笑)。
ノブレス・オブリージュの重要性
近衞:3人ともに、どこかのタイミングで「ノブレス・オブリージュ」(編集注記:高貴なる者の義務という意味)と向き合ってきたバックグラウンドも共通しているのではないかとも思います。皆さんはご家族から「こういった心持ちを忘れるな」といったような教訓はありましたか? 渡邊:私がこの言葉を最初に意識したのは30歳の頃、皇室の取材を始めた時。当時皇太子妃殿下だった美智子様の取材をしていて、この方はノブレス・オブリージュを実践されているのだな、と実感しました。館林の醤油屋さんのお嬢様で、やはり、地方の名家にはその精神が残っていて、世のため人のために色々なことをしてきて、尊敬されていることを知りました。そのことをずっと意識していたから、私が企画したチャリティーイベント“名家の逸品展”が、ホテルオークラで実現できたのです。その節は、ご両家にもご参加頂き、ありがとうございます。 竹田・近衞:お世話になりました(笑)。
チャリティーイベント「第1回名家の逸品」(2010)
チャリティーイベント「第2回名家の逸品」(2011)
東日本大震災復興チャリティーイベント「第3回名家の逸品」(2012)
渡邊:大平は元々農家なんです。地元香川県は水が少ない土地で、苦労したそうです。余談ですが、水がないから米作りが難しかった。そこで弘法大師が中国から小麦を持って帰ってきて、地域振興のためにうどんを作ったと言われています。水が少ないと取り合いになって色々と大変で、その調整力が問われます。うちは農家の中で水の管理を任されていて、やはりノブレス・オブリージュの要素が求められていました。 竹田:父は、1947年に7才で皇籍離脱するまでは皇族でした。いつまでもプリンス気分でいてもらったら困るけれど(笑)、でも皇族出身であることは、ずっと強く意識してきたはずです。
近衞:竹田さんのお父様は、何らかの形で社会に貢献しなければ、と思われていた? 竹田:そうだと思います。父は大学卒業後商社で働いていましたが、ゴルフが好きだったこともあり、退職後、公益財団法人日本ゴルフ協会の会長に就任して、ゴルフやスポーツ振興のお手伝いをしています。 近衞:お母様のご実家、根津家はどうでしょう? お茶を嗜まれて、文化的空間を作って……。 竹田:曽祖父の初代根津嘉一郎はオタクと言っていいほど茶道が好きで骨董を集めていました。でも着るものには頓着がなく、継ぎ接ぎだらけの洋服を着ていることがあったそうです。ある時、アメリカ商工会議所の招きで渋沢栄一を団長とした使節団に選ばれたのですが、ロックフェラーの自宅に招かれたときに、集めたコレクションを美術館にして市民に公開している話を聞いてびっくりしたそうです。目から鱗が落ちたように、日本に帰ってきてから、根津美術館を作ったのです。 近衞:アメリカには早くから社会貢献活動、フィランソロピーの思想がありましたからね。簡単に言うとお金持ちの人が寄付などをして市民に貢献する。キリスト教的な文化。さらに税制的な免除もしっかりしています。日本だと寄付した人にインセンティブが少ない。寄付してもそのまま渡すだけ、下手すると名前も出ないことも。でもその考え方は世界的に見たら古い。それなりのメリットがないと文化を守ることができないと感じます。 渡邊:近衞家こそ、ノブレス・オブリージュそのままじゃないかしら? 近衞:元はそうです、元々は。 渡邊:しかも、お父様が赤十字の会長で、お母様は三笠宮家の方で……。 近衞:確かに、滅私奉公というか、あの仕事は父にしかできないですね(笑)。父は災害がある度に被災地に赴き、何カ月も行ったきりということがよくありました。時代的にも東西冷戦で、今では考えられない大変なことばかりだったと思います。 渡邊:危ない目にもあってらっしゃるのね。名誉職かと思っていたら、最初から赤十字にお入りになった。 近衞:新卒叩き上げでございます(笑)。行くのは災害地や危ないところばかりだし、通常の交通手段がない。例えば日本がチベットに救急車を寄付したけど、空路もないし、父は途中から自分で運転して持っていったそうです。 渡邊:なぜ、お父様は赤十字を選ばれたのかしら。 近衞:イギリス留学後、知人がいた関係でジュネーブに寄ったら、5月8日の赤十字の日で、日本大使からパレードに参加しないかと誘われたことがきっかけだそうです。赤十字の日は赤十字創設者アンリ・デュナンの誕生日で、実は親父の誕生日でもあるんですよ。 竹田:本当!?じゃあ生まれ変わりじゃない。ご縁というか、運命というか。 渡邊:日本赤十字社のロビーにアンリ・デュナンの大きな絵があるじゃないですか。右にデュナンがいて、左に3人の天使がいる……。 近衞:東郷青児の「ソルフェリーノの誓い」ですね。 渡邊:1番手前の若い天使は、実は美智子様をモデルにしているらしいわよ。 近衞:へえ!美智子様、雅子様と、日本赤十字社の名誉総裁を受け継がれていますよね。明治天皇の皇后であった昭憲皇太后の寄付がきっかけで、自然災害などへ対応する基金が国際赤十字に創設されて、それは現在にも続いている。皇室と赤十字の関係が脈々と続いてるのを感じます。
皇室の祈り
渡邊:そう、すべてが繋がっている。やっぱり、日本は皇室があるからこそ文化が守られていく。 近衞:仰る通りです。お手本となるノブレス・オブリージュを皇室が示してくださっている。私の母は22才で皇族を離れたわけですが、今でも熱心にチャリティー活動をしています。ただ、身近なところにお手本があるにもかかわらず、日本では経済的に成功した人にノブレス・オブリージュは浸透していないのでは、と思います。欧米みたいに多額の寄付をしたり、一つの基金を作ったりというダイナミックなアクションは少ないですよね。
近衞:自然災害があったらボランティアに駆けつける人が大勢います。みんな心の中ではいざという時に助ける気持ちがある。だからこそ経済的に上に立つ人にはもっと普段から出来る事があるのではないかと思います。日本でも昔の企業家は「成功したら世の中のために何かをするんだ」と言って、その精神は会社を継承した子供達に受け継がれた。今は経済の仕組みや価値観が変わって、上場会社はもちろん、オーナー企業であってもの経営者の自由度が少ない。文化に貢献したら趣味にお金を使っているみたいに言われたり。メディアも良い話はあまり取り上げてくれませんよね。何か今の日本にあった仕組みを考えられないかなと感じます。 渡邊:システムの問題もあるし、宗教的な要素もあるかもしれませんね。平成の両陛下の指南役をされた小泉信三先生が、皇室は弱い立場の人、困っている人たちのサポートをする「同情者」であるべきと両陛下にお教えになって、おふたりはそれを何十年も続けて、象徴とは何かを考えてこられた。とてもありがたいです。 近衞:仰る通りですね。 渡邊:その気持ちをまた歌にして、詠まれてきた。 近衞:御歌も本当に国民に対するお気持ちがこもっていますね。一般的には、メディアで紹介される各地へのご訪問などが両陛下のお仕事のように思われている部分もありますが、伝統的な儀式などで、国民の事を思い、日本の伝統を守られているご公務がたくさんあるわけです。ほぼ休み無く国民の幸せを祈っていらっしゃる。 竹田:日本人はひけらかさないことが美徳とされてる面があるから、伝え方も難しい。 近衞:そうなんですよね。個人的には、カトリックにおけるバチカンの役割みたいなことかなと考えています。弱い立場の人のことを、24時間365日考えてくれる人が必要なのです。そういう方の存在を認識して感じることで、現在の日本人も、人生の心持ちがまったく違ってくると思います。
日本のソフトパワーについて
渡邊:私は30歳の頃から取材を始めて、美智子様の周りのあらゆるジャンルの専門家からお話を伺いました。その道を極めた方たちばかりで、お蔭で私の人生は豊かになったの。そこに日本の強さがあるのだな、と感じました。近衞さんは海外経験が長かったから、逆に日本を強く意識するようになったのでしょう? 近衞:私は2歳の時からのべ8年海外でしたから、記憶は海外から始まっています。だから日本を客観的に見ていました。
ジュネーヴのインターナショナルスクール「プレニー校」時代。 同じクラスに14カ国の子供が集っていた。
近衞は上段左から4人目。
渡邊:かなり特別なケースですね。 近衞:日本は文化的ないわゆるソフトパワーが比類ないレベルなのに、それに対する自己評価が低いと思う。海外の人は日本文化を見に来ているのだから、文化を強化しなきゃいけない。でも、日本人が自国に価値を見出していない。クリエイティブな仕事をしていると、そのことを強く感じます。なので、伝統文化を世界へPRする手助けをしていきたいと思っています。 渡邊:日本は外圧に弱いから、一回外に出して、戻すのが早いと思う。 竹田:日本文化の逆輸入ですね? 近衞:そうですね。その方が早いかも知れません。竹田さんはイギリスでフラワーアレンジメントの勉強をされたのですよね。自分の中で色々なルーツはどのように意識していますか? 竹田:イギリスにいた時は、いわゆる西洋のフラワーアレンジメントを習って、日本に帰ってきてからそのスタイルで仕事していた。けれど、自分に足りないのは和の花だと思って、習い始めました。草月流もやったし、茶花も習った。勉強しているうちに、日本のよさをもっと知りたいと思ったののです。お花に限らずにね。 渡邊:その結果、今回の東京タワ-で、西洋と日本が融合したフラワーが表現できたのね。 竹田:そうですね。私は基本的に吸水スポンジ、いわゆるオアシスを使う西洋スタイルなんですが、たまに作品が「和っぽいね」と言われることがあります。日本人だし、自然とそういう要素が入ってくるのかな。
ミキモト銀座4丁目本店の生け込み
お父様の竹田恆正宅で行われた会食を飾った装花シルバーの燭台と花器は竹田さんの曾祖母が明治天皇より賜った嫁入り道具の一つ。
近衞:海外生活を経て、日本の伝統美が自然に出てくるというのは素晴らしいと思います。私も見習わなくてはいけない。それでは、最後に皆さんが取り組まれている活動について、教えていただけますか?
今後の展望
竹田:お花以外のことですが、最近はナンタケットバスケットのブランドを作っています。ボストン沖にあるナンタケット島の伝統工芸品です。19世紀に捕鯨で栄えた島で、昔は灯台の代わりに明かりがついた船を海に浮かべていました。その乗組員の方々は、クジラの油を入れる樽を自分達で作っていて、木工が上手だった。灯台船勤務中の気晴らしと副業を兼ねてひろまったのが、ナンタケットバスケットの起源だそうです。 渡邊:これ、素敵なバッグだなと思っていました。 竹田:ありがとうございます!籐籠が、蓋を付けたりしてハンドバッグに進化して、ナンタケットバスケットという民芸品になったんです。それをもうちょっと都会的な感じにデザインして、新しいブランドを作りました。実際、ナンタケットバスケットはとても高価なものになります。私がプロデュースする「Nouvelle Nantucket Basket」は銀座の和光で取り扱っていただいております。
竹田さんデザインのナンタケットバスケット
渡邊:色々な形があるのね。和光で拝見させていただきます。私、買いますからね(笑)。 竹田:そして、ナンタケットバスケットの作り方を書いたハウツー本を今年6月に出す予定。出る頃にまたお知らせします。本当は籐じゃなくて、竹で作りたいのです。自分の名前も竹田だし(笑)。竹は表情が豊かだから。今年は色々なイベントを企画していて、10月には銀座でお花の個展を予定していて、少し趣向を凝らした内容にしようと考えています。 渡邊:竹って捨てるところがないのよね。 近衞:その通りです。竹ほど究極な植物はないと思う。成長が早くて使いやすい。繊維の要素もありながらすごく硬質で、方法によってはものすごく硬くできる。竹の炭もとても良いんですよね。食べても美味しい。 渡邊:私は今年、料理家デビューをいたします。と言っても1回だけね(笑)。雑誌の料理ページに載るの。先日撮影が終わりました。あと、2冊ほど本を企画中。両方とも美智子様関連ですが、タイトルも決まってないので、またお知らせします。既刊の『美智子さま 心のかけ橋』は今年、中国でも出版されることになりました。ところで、近衞さんは本書かないの?
美智子様の取材をもとに文藝春秋から2019年出版
近衞:ある出版社から本を出しませんかとずっと言われてるけど、まだそのタイミングになくて……。その前に父に書いてほしい(笑)。 渡邊:近衞さん、あなたがインタビューしないと。 近衞:そう思っていて、月日が経ってしまいました(苦笑)。父から聞くエピソ-ドはすごく面白いので。私が覚えてる限りでも1冊くらいの本になるとは思いますが、改めて、聞き直して、書きたいですね。 渡邊:私はプロデューサーなので、人と人を結びつけるのがライフワ-クなの。また何かこのメンバーで一緒に企画したいですね。今日はお声がけありがとうございます。 竹田:ありがとうございます。ぜひお願いします。 近衞:ぜひぜひ。まずは、お酒付きの企画会議をやりましょう(笑)。本日はありがとうございました。
ー編集後記:全員揃って、仕事をしたのも、膝を突き合わせて話をしたのも初めてという3人でしたが、もともとプライヴェートで仲が良く、公私ともに共通点が多いだけに、ここでは紹介しきれない程の四方山話で盛り上がった今回の鼎談。最後に、渡邊さんのお声がけで快く会場をお貸しくださったアルビオンアート株式会社の有川一三代表取締役も交えて皆で記念撮影。そして、このご縁がきっかけで、有川さんのインタビューもさせて頂けることになりました。渡邊さんに重ね重ね感謝申し上げます。
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