curioswitchはデザインや映像、イベントの他にもエクスペリエンスデザインを得意としています。今回はポストコロナに向けた、外国人クオリティートラベラーを想定したビスポーク京都旅をコーディネートいたしました。
#1 陽明文庫と虎山荘
『陽明文庫』は、仁和寺の西にある宝物庫です。近衞文麿(1891-1945)が1938年に設立。近衞家伝来の史料や美術品を約10万件以上保存・管理しています。 今回は、普段非公開の蔵を名和修文庫長にご案内いただきました。
展示室はまさにタイムカプセル。
現存する最古の自筆日記で世界文化遺産にも登録されている藤原道長(996-1027)の『御堂関白記』などをガラス越しではなく、間近に見ることができます。
千年以上経っても保存が良いので墨や紙は劣化していません。
墨色や筆致などから、日毎の体調や多忙さなどが伝わってきます。
眺めていると当時の息遣いを感じられるようです。
熊野行幸での和歌会の記録である後鳥羽上皇(1180-1239)宸筆の熊野懐紙や、近衞家凞(1667-1736)の命で渡辺始興(1683-1755)が模写している春日大社の成り立ちを描いた絵巻『春日権現霊験記絵巻』、家凞自身が描いた植物の模写『花木真寫(かぼくしんしゃ)』など、色彩豊かな絵もあります。
陽明文庫に隣接する『虎山荘』は近衞文麿が1942年に終の棲家として建てた数寄屋造りの別荘建築です。
風通りよく開放感のあるとても居心地の良い客間でのお茶。
一服後、虎山荘の各部屋の見学。主屋部分と客殿部分から構成されており、内部にはお茶室『滴庵』を含め二つの茶室があります。設計は西洋建築を学んだ長谷部鋭吉(1885-1960)がはじめて手がけた和風建築。伝統的な構法の中にも、和洋折衷とも言えるモダンな様式がいくつも見られます。
各部屋の床の間には陽明文庫の創立者である近衞文麿(左)や、その長男でシベリア抑留の後に非業の死を遂げた文隆の若き日の書(中)、文麿と交流があった横山大観の作品(右)もかけられています。
お花は名和文庫長の奥様によるもの。「花は野にあるように」という利休の言葉通り、庭の草木を使い華美過ぎず楚々とした姿に生けて下さいます。
#2 一保堂茶舗本店
続いて一保堂茶舗本店(京都市中京区寺町通二条上ル常盤木町52)へ。
代表取締役社長の渡辺正一さんに店内をご案内いただきました。
併設する喫茶室『嘉木』では一保堂のお茶と、甘味を味わうことが出来ます。祇園祭に合わせて期間限定のお菓子「祇園ちご餅」(皿の下側)。厄を除き福を招くと伝われる縁起物で、お餅の中に白味噌が入った甘じょっぱいお菓子です。甘さ控えめの「したたり(黒糖の琥珀羹)」はつるんと弾ける食感。
お茶は、抹茶・玉露・煎茶・番茶から選べます。
京都本店限定の「特撰煎茶」は煎茶のやわらかい香りと苦みが特徴。
#3 品川亮さんアトリエ
画家・品川亮さんの京都アトリエ見学。東山・今熊野宝蔵町の古民家を改築したアトリエで制作をされています。窓からは平安初期の光孝天皇の母・藤原沢子の中尾陵が見える場所です。
品川さんはタイガー魔法瓶アートプロジェクトでタイガー魔法瓶の新社屋に作品が展示されている新進気鋭の画家です。
品川亮さんは近年精力的に個展を開催されているので、目にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか?ちなみに、2021年4月に渋谷PARCOで展示した大作は、ZOZOさんが購入して本社に展示されています。
品川亮さんのテーマは「日本画を捉えなおす」ことにあります。
日本画という定義は明治に入ってからですが、現代の日本画が追求すべき絵画とは何なのか?
本来日本人が問うべき日本画は現代にどのようにつながるものだったのか?
そうした疑問に対する答えをご自身なりに追い求めながら、日本画を捉えなおすための制作を続けていると、品川さんは語ってくださいました。
スタジオを回りながら、各制作工程を丁寧にご説明いただきました。墨や金箔、伝統的手法はもちろん、シルクスクリーンなど新しい技法も取り入れています。
品川さんの熱気ある解説とコンセプチュアルな数々の作品に、一同興味津々。すっかり品川さんの虜になってしまいました。
日本画のアップデートに取り組み続ける品川さんの今後のご活躍に乞うご期待です。
品川さんとcurioswitchの近衞との間では様々なコラボプロジェクトを計画中です。両名の新たな創作も是非お楽しみに。
#4 一力亭
日が暮れてきた頃、訪れたのは京都随一の料亭『一力亭』。祇園甲部の中でも最も格式の高い、由緒のある「お茶屋」です。
『一力亭』では、芸舞妓さんたちが祇園祭に因んだ華やかなお飾りで迎えてくださいました。
とはいえ、歴史的著名人達が通った一見さんお断りの料亭で、芸舞妓さんに囲まれながら京料理を頂くのは、初めてづくしの体験です。人生最高に緊張したのも束の間。気づけば、芸舞妓さんとの楽しいおしゃべりにお酒も進み、お部屋の設を鑑賞する気持ちの余裕も生まれてきました。
床の間には、歌人・冷泉為紀(1854-1905年)のお軸と祇園祭の山鉾の飾りと魔除けの花と呼ばれる祇園祭でお馴染みのヒオウギ。
季節のおもてなしが感じられる設に心を癒されました。
そして驚いたことに、我らが近衞さんのご先祖 近衞忠熈の扁額が!
姓は「藤原」となっています。時を越える出逢いに驚きを隠せません。
いよいよ、待ちに待った京舞の時間となりました。
実は、一力亭で舞われている京舞井上流は、初世 井上八千代から関係があります。近衞家に仕えて仙洞御所などで舞っており、二十四代近衞経熈(1761-1799)の時代にはすでにご奉公に上がっていたそうです。
今回は『東山』『蛍狩』『祇園小唄』をご披露いただきました。
井上流の気品高い舞いと美しい演出に、まるで江戸時代の料亭にタイムスリップしたかのような幻想を抱いてしまいます。
夢見心地も冷めぬ間に、お座敷遊びへと続きます。ジェスチャー表現を使用したジャンケンゲーム「とらとら」とリズムゲームの「金比羅船船」を体験させていただきました。
こうして、京都の夜は更けていくのでした。
#5 祇園祭
祇園祭のクライマックスであり「後祭」と呼ばれる「山鉾巡行」を観覧。
祇園囃子が響く中、34基が参加。まるでタイムスリップしたかのような雰囲気です。
後祭りの山鉾巡行では橋弁慶山を先頭に11基が集結。「動く美術館」とも呼ばれる祇園祭の山鉾は、長い歴史を鉾に纏い、夏の暑さにも負けじと観る人々を圧倒。特に約200年を経て巡行復帰した「鷹山」は、目に見えない人々のパワーを感じさせてくれました。
後記
FAM Trip in Kyotoには、古より連綿と繋がる様々な日本文化が凝縮されています。
一貫して感じるのは、京都には、そこでしか体験できない最高峰の扉が何重にも連なっていて、奥の奥を垣間見るために、時間も、お金も、労力も、そしてもちろん勉強も惜しんではならないということです。
ご協力いただきました全ての皆様に、心より感謝申し上げます。
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